田中 俊(弁護団事務局長)

1 個人通報にいたるまで

 1992年に5人が逮捕された時、現地のマスコミは「ジャパニーズ・マフィア」等と大々的に報道しました。しかし、日本ではそれほど関心をもって報道されることはありませんでした(講談社の月刊「ビューズ」に浜名純氏が「無実の罪で懲役85年」を発表されたくらいでした。)。
 現地では、逮捕時からヤング牧師が、無実を信じて活動され、現地では約30名の日本人を中心に支援の会が結成され、彼ら5人の公判活動を支援してきました。
 1996年、立命館大学の堀田牧太郎教授が、電子メールで支援の会の武本英二さんと連絡をするようになりました。その時には、勝野良男さん以外の4人の刑はすでに確定していました。堀田教授は、彼らが英語を全く理解できなかったことから、刑事手続上十分な防御活動が行なわれないまま結審したことに強い疑問を持ち、個人通報制度を利用して、彼らを救えないかと考えていました。
 1998年6月17〜21日、堀田教授と弁護士の山下潔、田中俊がメルボルンを訪れ、5人に会うなど現地を調査しました。その時の日程は以下のとおりです。

 6月18日 午前メルボルン着
午後からA子さんの収容されているMWCC(女子刑務所)訪問
夜、支援者と会食
   19日 メルボルンから250キロ郊外にあるフルハム刑務所で、勝野兄弟、浅見さんから事情聴取
夜、支援者と会食・会議
   20日 午前、ヤング牧師と懇談
午後、支援者と会議
 彼ら5人と会って事実関係を具体的に聞く中で、私たちは、この事件は冤罪事件であると確信しました。また、彼らが英語を理解できなかったことから、刑事手続の中で十分な防御活動ができなかったことがわかりました。確かに、通訳は付されてはいました。しかし、通訳の能力が十分でなく、かなりの部分にわたって誤訳が行なわれていたのです。
 オーストラリア・ビクトリア州では、日本人、中国人、ベトナム人等アジア系の民族が在住していますが、彼らと十分にコミュニュケートできるだけの能力を備えた通訳人は少なく、通訳の能力、適性は十分なものとはいえないことも判りました。
 オーストラリア政府は、日本政府と異なり、国際人権自由権規約と個人通報手続を定めた選択議定書も批准しています。そこで、帰国後、彼らが、市民的及び政治的権利に関する規約(自由権規約)の保障している公正な裁判を受けることができなかった事を問題にして、スイスのジュネーブにある自由権規約人権委員会に個人通報することを決めました。原文の作成は、堀田教授が行ないました。
 彼らが個人通報するにあたって、大阪弁護士会に所属する弁護士を中心に弁護団への参加を呼びかけました。その結果、42人の弁護士によって弁護団が結成され、代理人となって、1998年9月22日、国際宅急便にて、書面で個人通報しました(資料編)。この個人通報については、朝日新聞が「日本人で初めての個人通報」として、社会面トップで大きく取り上げました(資料編)。
 個人通報のねらいは、規約人権委員会からオーストラリア政府に対し、彼らに対する人権侵害の事実を認めて、勧告を出してもらうことです。最終的にはオーストラリア政府の判断で、彼らを釈放させることです(具体的にどのような形で彼らが自由を勝ちとれるかは、まず第1にオーストラリア政府が判断することになるかと思われます。)。

2 第2回メルボルン調査について
 1998年10月に入って、弁護団事務局(財政、広報等)の体制が確立しました。
 その後、本年(1999年)1月15日〜17日、山下潔、近藤厚志、沢田篤志、池田崇志、小切間俊司、田中俊の6人の弁護士と英国から帰った学生の藤田有紀がメルボルンを訪問しました。
 今回の訪問の目的は、第1に、現地で収容されている5人と支援の会の人達に、前回訪問から現在までの弁護団の取組みと成果を説明すること、第2に、5人の収容者からもう一度、事件の事実関係及び彼らが十分な防御活動ができたのか(特に通訳の問題を中心に)を確認すること、第3に、実際に彼らを担当したオーストラリア・ビクトリア州の弁護士に会って、通訳等刑事手続上の問題がなかったかを確認すること、第4に、メルボルンの日本領事館を訪問して、日本政府はこの事件にどのように対応し、この事件をどう認識しているのかを確認し、協力を要請することでした。
 第2回訪問にあたって、大阪弁護士会の弁護士を中心にカンパを訴えたところ、多数の方々の賛同が得られました。
 この第2回訪問は、下記のようなスケジュールでした。

 1月15日 午後、現地弁護士との懇談(ヤング牧師の協会にて)
夜、支援者と会食・懇談
   16日 午前、メルボルン領事館訪問
午後、MWCC(女子刑務所)にてA子さんから事情聴取
   17日 午後、フルハム刑務所にて勝野3兄弟、浅見さんから事情聴取
夜、支援者と会食・懇談
 なお、この時の具体的な内容については、メルボルン事件弁護団通信第2号(資料編)で詳しく掲載していますので、ご希望の方は送付いたします。事務局までご連絡下さい。

3 各界への呼びかけ
 1999年5月22日、仙台において開かれた自由法曹団5月集会において全国から参加した弁護士を中心とする570名の参加者に対し、メルボルン事件について特別報告を行いました。その結果、200名を超す弁護士からカンパをいただきました。
 さらに、同年5月29日、元外務大臣の中山太郎衆議院議員に私たちの活動を報告し、支援を訴えました。議員はオーストラリアの法務委員会に働きかけてはなどとアドバイスを下さいました。

4 クアラルンプール調査
・ 弁護団は、1999年8月6日から同月11日まで、マレーシアのクアランプールに4名の弁護団員(堀田牧太郎教授、弁護士沢田篤志、黒田悦男、田中俊)を派遣して、現地調査を行ないました。クアラルンプール(以下KLといいます。)は、7名の日本人旅行客がメルボルンに行く前に立ち寄った際、スーツケースを積んだバンが盗まれ、ヘロイン入りのスーツケースとすり替えられた場所です。その新しいスーツケースを彼らに手渡した現地ガイドは、そもそも彼らをKLに来るように手引きした人物でもあり、弁護団は、このガイドが、本件事件に深く関与している人物であると以前から注目していました。このガイドが、マレイシアにおいてヘロインとは別件で刑務所に収容されていることを聞き、弁護団は、そのガイドに会って、事情を聴取するためにKLに向かったのです。
・ 調査初日(1999年8月7日)
@ メルボルン事件の構図
  8月7日、我々は、この日現地の信頼できる筋から、新たな事実を聞かされました。
  すなわち、この事件の背景には麻薬のシンジケートを支配するKLのギャング団が深く関与していることが判ったのです。7人の日本人観光客を迎えに来たガイドは、全員で3〜4名いたのですが、すべてこのギャング団の構成員だったというのです。
A スーツケースを盗まれた現場へ
  午後からは、下町にあるカフェに行きました。このカフェは7年前スーツケースを積んだバンが盗まれたとき7人の日本人が食事をしていたカフェです。カフェはたくさんあるのに、なぜわざわざ彼らをガイドがこのようなスラムに近い下町の食堂に案内したのか不自然な話であり、この盗難事件が当初から計画的に仕組まれたものであることを示唆していると思いました。

・ 調査第2日(1999年8月8日)
@ ガイドとの接見
  我々はこの日、事件の鍵を握るガイドが収容されている監獄を訪問しました。ガイドとの接見は午前11時から12時半頃までの約1時間半、40度以上あるであろう監獄内の面会室で、ガラス窓越しに電話を通じての接見でした。
  このガイドによればスーツケースが盗まれたのは事実であるが、自分はヘロインにかかわる事実は知らないということでした。その一方ガイドは、運んだヘロインをオーストラリアでギャングの主犯が麻薬を処分するてはずになっていたといいました。
  また、このガイドは、現在収容されている4人の日本人については、面識がなく、彼らはヘロインのことは知らなかったはずであると明言しました。
  メルボルンでの法廷では、スーツケースがKLで盗まれたことすら、彼らのつくったフィクションとして調べられませんでした。このガイドとの接見記録は英訳して、近くジュネーブの規約人権委員会に補充資料として提出する予定です。

・ 調査第3日(1999年8月9日)
 @ マレーシア最高裁判所法廷見学
 A オーストラリア高等弁務官事務所訪問

5 オーストラリア連邦法務大臣に対する釈放要請

 1999年7月29日、弁護団は弁護団全員の連名でオーストラリア連邦法務大臣アマンダ氏宛に収容されている日本人4人について、その身柄を釈放要請するように文書で要求しました。
 続いて、2000年1月末、在メルボルン日本領事館が一部の服役囚について、健康、精神面の状態が悪いことを理由に人道的見地からオーストラリア政府側に早期釈放を求める申し入れをする方針を固めたとの連絡が、現地支援者に対してありました(資料編の朝日新聞記事参照)。

6 第3回メルボルン調査
 2000年2月11日〜13日にかけて、山下潔、近藤厚志、小切間俊司、田中俊の4人の弁護団と学生の藤田有紀がメルボルンを訪問しました。
 今回の調査の目的は、規約人権委員会に行なった個人通報を補強する補充書面作成のために収容者たちに会って質問すること、並びにオーストリアの現地弁護士と交流し、収容されている日本人たちの早期釈放実現に向けて打ち合わせすることでした。というのは、現在シドニー在住のオーストラリアの数名の弁護士が、日本人釈放のために受任してもよいという申し出があったからです。
 オーストラリアの弁護士の話によると、チェンバレン事件(1992年)の実例に基づいて、その上で国会に審理のやり直しを求めようというのです。チェンバレン事件では、メルボルン事件同様刑が既に確定していたのですが、国会に審理のやり直しを求め、国会が無罪の認定を下したということです。彼らの説明を聞き、我々は、一定の理解を示すとともにできる範囲で相互に協力することを約束しました。以下、今回のメルボルン調査の日程は次のとおりでした。

  2月11日 MWCC(女子刑務所)にてA子さんと会見
オーストラリア弁護士・支援者と会食
  2月12日 フルハム刑務所にて男性収容者から事情聴取
支援者武本氏宅で夕食会
  2月13日(午後1時〜午後8時)
オーストラリア弁護士とディスカッション(日本からは山下・田中が参加)、支援者らも参加
支援者杉本氏宅で夕食会

7 通訳人プロジェクトチームの結成

     −ジュネーブへの補充報告書作成に向けて
・ 弁護団は、1998年9月に行なった個人通報の中で、捜査・公判段階での通訳人の能力、適性等を問題にしていますが、具体的にどのような通訳が行なわれたのかを解明することが課題でした。そのためには、彼らの供述調書、公判記録等の緻密な分析が不可欠であり、当然その分析には語学力が必要となります。しかし、弁護団の中には英語が堪能な者は少なく、その作業には、膨大な時間を要すると考えていました。
  そのような中、1999年12月、弁護団に協力者が現れました。大阪で法廷通訳人をつとめる数名の学者たちが、中立の立場で翻訳作業及び分析を引き受けてくださるというのです。以後、彼らによって、精力的な作業が行なわれています。
 通訳人チームのメンバーは以下のとおりです(敬称略、50音順)。
   津田  守(大阪外国語大学教授)
   長尾ひろみ(聖和大学助教授・日本司法通訳人協会会長)
   西松 鈴美(大阪外国語大学大学院生)
   水野真木子(立命館大学・同志社大学等講師)
   渡辺  修(神戸学院大学教授)

・ また、今年に入って、国際人権に精通するアメリカの弁護士ジョン・トービン氏が、アドバイザーとして弁護団に加わり貴重な助言をしてくれています。

8 広報活動について
 本小冊子(初版)の普及とともにマスコミからの取材も多くなり、弁護団はラジオ(毎日放送−「ありがとう浜村淳です」「諸口あきらのイブニングレーダー」)にも出演して、この事件を説明し支援を訴えました。
 1999年10月30日に毎日新聞全国版が「日本人4人無実の叫び」という見出しでこの事件のことを大きく報道して以後(資料編の毎日新聞参照)、その反響からテレビ数社、雑誌、新聞などからの取材が弁護団に殺到し、大きく報道されるようになりました。サンデー毎日、読売テレビ(「今日の出来事」「ニュースプラス1」等)、朝日新聞の報道などがそれです(資料編参照)。メルボルン事件の認知度も上がり、一般市民にも知られるようになってきました。
 しかし、その反面、情報管理の重要性、マスコミとの対応についても弁護団会議で論じられるようになりました。

9 今後の課題と展望について

 今後、弁護団は、遅くとも6月までに補充報告書を完成させ、7月にはジュネーブを訪問し、規約人権委員会に補充報告書を提出するとともに早急にオーストラリアに彼らの釈放を命じる勧告を出すように要請する予定です。また、オーストラリア弁護団と協力して、釈放のための救済手段の追求をしていくこと、また、時宜を見計らって、メルボルン日本領事館からオーストラリア政府に対し、釈放要請をするように申し入れる予定です。
 現在の一番の課題は、オーストラリアの弁護士費用はどうやって賄うのかなど資金面の問題です。弁護団は、このパンフレットの普及を通して幅広いカンパを呼びかけるなどして、この問題に対応していくことにしています。みなさんの格段の理解と協力をお願いしたいと考えます。