| 1 メルボルン現地の支援の動き 「メルボルン事件支援者連絡会:その成り立ち及び活動」 メルボルン事件支援者連絡会 日本人ツーリストによる麻薬密輸事件後2カ月、5人が拘束されていた拘置所に面会したメルボルン日本語キリスト教会のヤング牧師により支援が始まった。彼らの無実の叫びを聞き、事件の裏側を知るにつれ、まず、教会で協力を呼びかけた。時には弁護士との通訳を手伝い、減刑の為の証人として出廷したこともあり、この事件の細部に関わってきた。また東京のクリスチャン関係者にも協力を呼びかけ裁判費用援助の為の基金設立を行った。 この会の名称にあるように、連絡会とあるのは日本語教会関係者、及びこの事件をきっかけに95年7月に結成されたビクトリア州在住日本人移住者による日本人クラブ(JCV)内の「人権を考える会」、更に個人として彼らの支援を続けてきた数人が加わり、97年1月に連携した。私たちは5人の一貫した無実の主張がなぜ裁判で考慮されず、有罪になったのかを探るうち、英語の喋れない日本人あるいは他国の旅行者誰もが陥る可能性のあることに気づき、彼らの権利回復のために裁判資料の再点検に焦点を当ててきた。 立命館大学国際関係学部堀田牧太郎教授と親交のあったA・ウイリアムが97年8月に帰豪した際、当事件を知り、堀田教授と連絡会がつながり、98年6月には堀田教授、山下弁護士、田中弁護士の調査来豪に至った。この訪問で98年9月には5人のうち4人が日本人で始めての国連人権委員会に個人通報制度で提訴した。 また、98年11月にはパードン申請(恩赦)を行った。これは最高裁で上告を棄却されてしまった4名にとっては残された通常考えられる唯一の手続きであり、申請においては無実(Pardon)の請求、及び減刑(Mercy)の請求を連邦司法省に提出したものである。現在のところ調査段階ではあるが、担当官から直接届いた情報によれば、連邦警察、検察当局に調査依頼がいっていること、調査終了後は、連邦司法省で審議され、最後の決定はGovernor General(総督:英女王代理)に委ねられることが伝えられている。 なお、「人権を考える会」は98年7月JCVを離れ独立し「メルボルン人権連絡委員会(仮称)」として引き続き当事件の支援に係わっている。これまで、連邦警察での取り調べテープと裁判に提出された調書類を調べ、この様々な問題、たとえば方言の誤訳、証言の要約や短縮、割愛、更に日本の習慣とオーストラリアのそれの違いによる誤解などで裁判では不利な証拠となってしまったことなどを調査してきた。これらは参考資料としてまとめパードン申請に際しても添付した。連絡会は毎月定例会を開き、5人の近況報告、活動計画などを話し合い、これまでに「基金」のための支援コンサートやバザーを行ってきた。 刑務所内において、5人の人たちは模範囚として周囲の信頼を得ていることを最後に強調しておきたい。女性刑務所のA子さんは縫製の仕事、その他全般的な態度において、高く評価され、ほとんどの職員からは「A子さんの無実を信じている」とまで言われている。男性たちも野菜作りに励み、作物を他の囚人に快く分けてあげたり、面会所の壁にディズニーのキャラクターや日本画を描いたりして大きな貢献をしており、「この人達が悪い事をするはずがない」と彼らをよく知る人々はコメントしている。彼らの身の潔白が証明され、一日も早い帰国が実現されるよう、多くの人達と協力し合い、支援の輪を何重にも広げていきたいと願っている。 2 日本の支援者の声 (1)「メルボルン事件について」 菅野和憲 1992年6月17日、オーストラリアのビクトリア州メルボルン空港で、日本人旅行者7名ツアーの旅行かばんから約13キロのヘロインが見つかった。彼らは前日にマレーシアを経由してきた。だが、クアラルンプールで、旅行かばんを2台の車に残して、夕食をとっている間に、4名の旅行かばんをのせた車が盗まれてしまった。旅行ガイドたちの必死の探索の結果、盗難車は見つかり、旅行かばんも手元に戻った。しかしその旅行かばんはいずれもずだずだに切られて使い物にならなくなっていたため、旅行ガイドたちが新品のものをお詫びのしるしとして用意してくれていた。7名は感謝をし、予定通りにメルボルンに到着したのであった。 ヘロインが見つかったとき、この旅行者7名にとっては寝耳に水のことであった。まるでテレビのドラマを見ているようであり、おとり捜査にも協力した。結果、旅行ガイドのリ−ダーの通称キャリー(仮名)に事件発覚を連絡したと思われる男の所在がわかり、この男とヘロインの入った旅行かばんの所持者4名とツアーリーダーの1名が麻薬密輸の現行犯で拘束された。しかし、この日本人5名は最初から無実を訴えつづけている。 1994年5月28日、地方裁判所の12名の陪審員たちがこの5名に有罪を評決した結果、ツアーリーダーの勝野良男氏は25年、他の4名は15年の実刑判決を受けた。1995年6月の上告申請の裁判の結果、勝野良男氏のみが再審を認められた。1996年12月の再審では再度、有罪。しかし、その刑は20年に減刑された。一方、勝野良男氏を除く他の4名は、1997年6月に最高裁への上告が却下されて、刑が確定した。 その後、1998年9月に、勝野良男氏の最高裁への上告が認められ、1999年3月に首都キャンベラの最高裁で弁論が行なわれたが、却下され刑が確定した。 現地メルボルンにはプリズン・フェローシップというクリスチャンによる刑務所内の受刑者たちを支援するためのボランティア団体がある。このボランティア団体の代表が事件発覚当初、拘束された英語のまったく話せないこの5名の支援のために、メルボルン日本語キリスト教会のスティーブ・ヤング牧師に協力を依頼してきた。日本生まれのヤング氏はこの5名を定期的に訪問し、事件の経緯また彼らの必要を聞き、支援のために多大な時間を費やしている。ヤング氏は彼らとの面会を通して、この5名のいずれもが無罪であると確信している。その働きを通し、この5名の受刑者を支援する人たちの輪がメルボルン、オーストラリア、またアメリカそして日本と広げられてきている。 日本では、「月刊ビューズ」(講談社)の1995年3月号に「無実の罪で(合計)懲役85年!」(文:浜名純)と題して紹介された。また1996年3月30日に日本テレビの特番の中でも取り上げられた。キリスト教界では、テレビ番組のハーベスト・タイム('96年4月)やクリスチャン新聞(93.9.26、96.4.28、96.5.5以降適時に)また百万人の福音や月刊レムナントさらに英文雑誌ジャパン・ハーベスト等で紹介されてきた。 日本での支援活動の一環として、1996年3月に「メルボルン事件日本支援基金」(発起人:広橋嘉信、浜名純、菅野和憲)が設置された。これは5名の刑務所内での生活費や再審のための費用また日本に帰国したときの一時金を目的としており、これまでに必要に応じてヤング氏の要請の下に送金している。1997年11月には、浅見氏が獄中で描いた絵に聖書の言葉を添えた作品約50点をギャラリーそわか(東京都武蔵村山市)の厚意により展示した。 また、1998年に入ってからは、人権擁護の立場から、その専門家である堀田牧太郎氏(立命館アジア太平洋大学教授)と弁護士の山下潔氏(大阪弁護士会)が中心となって、メルボルン事件弁護団を結成した。1998年10月には国連の自由権規約(人権)委員会に「個人通報書」を送っている。この回答を得るには3〜4年を要すると言われている。また、12月には、現地の支援者連絡会と協力して、すでに判決の確定した4名のために、特赦もしくは減刑の嘆願書を法務長官と総督宛てに申請した。これには日本からも50名近くの実業人や政治家の嘆願書が添付されたと聞いている。また、同弁護団は今後、日本政府にも何らかの働きかけをしようと準備をしているとのことである。 この4名いや5名は訴える。この裁判自体、弁護士との十分な意思疎通もなく、その進展の説明も受けることなく、かつ弁明の機会も与えられないままに行なわれたと。すでに事件発生から7年近くが経過している。いずれにしろ、5名の方々の冤罪が晴され、一日も早く日本に帰国できる日の来ることを願っている。 1999年3月31日 菅野和憲 (2)メルボルン事件日本支援基金の取扱機関と連絡先 ○ 郵便局: メルボルン事件日本支援基金 00120-2-581447 ○ 取扱銀行: 東京三菱銀行 立川支店 メルボルン事件日本支援基金 普通預金:No. 1569550 (尚、銀行振込の場合は必ず別途ご連絡をお願いします) 主な関係者の住所: 2000年4月31日現在 ○ 男性刑務所: Mr.Kiichirou Asami, Mr.Masaharu Katsuno Mr. Mitsuo Katsuno, Mr. Yoshio Katsuno Fulham Correctional Centre, Hopkins Road, Fulham, Vic.3851, AUSTRALIA ○ 女性刑務所: Miss A MWCC,P.O.Box497,St.Albans,Vic.3021, AUSTRALIA * 励ましのお手紙をお願いします、本人に直接届きます。 ○ 国内連絡先: 177-0053 練馬区関町南4-17-1-318 菅野和憲 (03-3594-5685) メルボルン・オセアニア通信 編集発行 メルボルン事件日本支援基金 事務担当 E-mail : aaf78250@pop17.odn.ne.jp |
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