1 生の声   勝野 正治
 どうか少しでも考えてみて頂けないでしょうか。もし無実のあなたが不幸にも麻薬の密輸という極めてダーティーな事件に巻き込まれ、訳の分からないまま有罪判決に追い込まれたとしたら。しかも長期の拘束の中で望みの綱の再審の扉は、これも訳の分からないうちにどんどん閉ざされてしまう。そんな時に受ける、じだんだを踏みしかも砂を噛まされるような精神的肉体的苦痛が、いかほどであるかを。精神的にも肉体的にもずたずたになって当然すぎるほどの苦痛がそこにはあるのです。
 振り返れば大変感慨深い思いがあります。私たちの拘留は間もなく7年目を迎えます。拘留場所も、言語、習慣、文化が違い、多くの面で自由を束縛された異国の刑務所です。無実の者であればなおさらのこと、肉体的にも精神的にも厳しい状況にあることは、想像におかれましてもご理解頂けるかと存じます。一人での拘留を余儀なくされていますA子さんは精神的にも肉体的にも現在ボロボロになっています。A子さんは、ストレスやショックから何度も呼吸困難に陥り、病院に運ばれたことがありました。体力には人一倍自信のあった私も、拘留期間に十数度の心臓発作を起こし、二度心臓バイパスの手術を受けました。そして4年経過した現在も、毎日欠かさず薬が必要な状態に置かれています。
 受ける苦痛は拘留されている当人ばかりではありません。その家族も同様なのです。有罪判決が出た後私の気持ちを占めた思いは、一体どれほどの人が私の無実を信じてくれるだろうかという思いでした。思いの中で考えるだけなら、簡単な事かも知れません。しかし現実に起こってしまった無実で15年の懲役刑は、決して軽々しく済まされる事ではありません。このダーティーな事件は事実関係はどうであれ、その渦中に身を置いているというだけで、本人のみならず身内の者を悲惨の中に引きずり込んでしまう程大きな影響を及ぼすものです。いや、身内の者の一生を台無しにしてしまうほどの影響を、現に与えています。苦痛と投げやりから、息子が自殺するのではといった恐れを抱いて、ここ数年私は過ごしてきました。そうしたやり切れない不安。裁判時における事実と異なる推測に基づく不利な発言を聞かされる苦しみ。事件報道を知った方から受けるののしりや非難の声。芽生え出した支援に対し無慈悲に行われた中傷や妨害。無実の自分が有罪判決を受けて初めて味わった苦しみのどれも、私には極めて苦痛でした。
 もし自分が麻薬密輸の計画を知ってその犯行に拘わっていたのなら、どんなにひどく罵声を受け、どんなに長い懲罰でも納得して受けられます。たとえそれがマレーシアで発覚し、極刑を受けることになったとしてもです。その場合身から出たサビですから、こんなに苦しむことも無かったろうと思います。身内に対しては肩身の狭くつらい思いをかけますが、命を代償に謝り尽くすことだって出来るのです。
 しかし、無実であればそうはいかないのです。誰でも諦めと無気力に襲われない限り、あくまで無実を主張し、無実を証明できる可能性を探り努めようとしないでしょうか。ところが現実には、無実の者が無実を主張するだけで、“反省が無い、反抗的だ”とみなされ、有罪の者が罪を認めた場合と比較にならない程の厳しい弾劾と長期刑を裁判官より科せられ、また報道で事件を知った一般の人々からもより非難を受けてしまうのです。それでも可能な限り、無実を証明出来る可能性を探り求め無実を主張し続けることが、つらい思いをかけている身内に対するせめての慰め、またささやかな償いにつながることだと私は信じています。
 そんな意味もありまして、現在、支援者のご厚意で頂いております恩赦申請についても、仮に恩赦が出たとしても私は辞退させて頂こうと心に決めています。勿論、A子さんのように体も心もズタズタになってしまわれた方には、深い同情と共に一日も早い帰国により心身の癒されることを、私も希望してやみません。しかしまだ体力的にも精神的にも頑張れる状態にある以上、私はあくまでも再審裁判を得ることに望みをつないでいこうと思っています。被害者とばかり思い込んでいた自分が、いつの間にか身内に対しては加害者になっていることに、複雑でやり切れない気持ちが致しますが、最終的には無実を勝ち取って初めて真の償いと心の安らぎを身内に与えられ、また自ら人間の尊厳の回復ができると考えているからです。
 ですから私の望みは、偏見に満ち誤審の裁判により下された有罪判決を、再審裁判によってその判決が誤りであったことを証明したい事ただ一点です。極論を言えば再審への道一つなのです。そのためには超えなければならない困難な壁が幾重にも有ります。その困難を乗り越えるためにも皆様から頂くご支援が不可欠です。どんな形であるにせよ、頂くご支援の実ひとつひとつが私たちの心を支える確かな力となっているばかりではなく、やがては重い再審の扉を開く力にさえなり得る可能性を秘めているからです。
 どうかご支援受け賜わりますように、また再審に向けどうかご指導とご助力も併せて賜りますように、重ねてお願い申し上げます。
1999年 4月 14日
オーストラリア、フルハム刑務所にて
勝野正治


2 生の声   勝野 光男

 日本では、私達の事件をテレビや新聞であまり大々的には報道されなかったようですし、事件が起きてからもう少しで7年目を迎えようとしていますので、知っている人は少ないと思います。私達は92年の6月にオーストラリア国内へ大量の麻薬を持ち込んだ容疑で逮捕され、94年に開かれた裁判の結果、全員が有罪となり、私は懲役15年という刑を受けました。その翌年にビクトリア州の最高裁判所へ上訴しましたが全員却下されてしまいました。そして最後の望みであるキャンベラの最高裁判所への上訴は申請も97年に行いましたが、それも却下されてしまい、今は刑期が終えるのを只待つだけになりました。
 第一審で有罪になった者が上訴して無罪を勝ち取ることはどれ程難しいかという話は聞いていましたが、それが現実となって、今、私達の身に降りかかっています。私は裁判が終われば無罪で日本へ帰れるものと信じていましたので、20ヶ月という長い拘置所生活も辛抱できました。しかし裁判が始まってから私が信じていたものが少しずつ崩れていくような気になりました。私が最初想像していた裁判とはかなり違っていましたし、公正に行うべき裁判なのに決してそうでは無かったからです。私達の裁判は合同裁判という形式で行われました。私達と同じ法廷に、私達の旅行グループとは別人で状況証拠が沢山あった中国系マレーシア人も一緒に裁判を行ったことは、私達にとっては大変不利になりました。警察側は私達とその中国人と結びつけようとして、その人間とクアラルンプールのレストランで一緒に食事をしたり、行動を共にしていたと主張しましたが、私達はオーストラリアへ来て拘留されるまで、その人は見た事もありませんでした。又私達は証人台に立つ事が出来ませんでした。その理由はもし誰かが証人台に立てば他の被告人に不利になる証言をする恐れがある為、私達の弁護士は立たないことを勧めたのです。しかし、その結果、陪審員が私達をどう判断したかは分かりませんが、悪い審議をすることになった可能性も考えられます。そして英語の分からない私達にとっては、全て通訳を通してでなければ分かりませんので、一応法廷にも通訳は付いていましたが、同時通訳という方法で行われた為、私達に会話の内容が20〜30%位しか伝わらなかったように思います。裁判官も陪審員の下した有罪の判決に対して、その判決は正しかったと本人自身の意思を示していた程ですから、私達に対して最初から偏見を持っていたと言えます。中立の立場をあずかるべき裁判官が私達を最初から有罪と決めていたら、どうしても警察側の方が有利になるような裁判になってしまいます。そんな裁判が公正といえるでしょうか。無実の者が不公正な裁判で有罪となり、服役している気持ちはどんなものか分かるでしょうか。私がこの旅行に誘った為に刑を受けた友人の女性は今でも裁判で受けたショックから立ち直る事が出来ず精神的な病気で体を患っています。私達がこのまま刑期を終えてから帰国しても、一生前科者という立場で生きて行かなければなりません。私はとても納得出来ません。私達の刑が決まってからも、メルボルン在住の日本人の方々や日本語教会の方々は、今までに頻繁に面会に来て戴き私達を励まして下さいました。そして私達の為にバザーやコンサートなどで援助金を作って下さいました。本当に感謝しております。そして昨年と今年の1月には大阪から山下先生を始めとする弁護士の方々や立命館大教授の堀田先生が私達に面会して下さいました。わたしの上訴も全て終わった後、刑期が終わるまで我慢するしか無いとほとんど諦めていたのですが、先生方が私達の事件にとても関心をしめされ、国連の方にも訴えてくださったり、大阪弁護士会の多くの先生方が私達を支援して下さるようになり、今は又希望が持てるようになりました。本当にありがとうございます。
 私は名前や写真を載せることには、別に問題はありません。ただAさんの場合は出してほしくないと言っていました。(武本宛の手紙文中より抜粋)
勝野 光男


3 生の声   勝野 良男

 今回、私達の事件の為に、大阪弁護士会の先生方が手助けをして下さることになり、心から感謝しています。
 こちらのオーストラリアでも、私達の事件を知り、何とか手助けしたいと集まってくれた人達が支援グループを作ってくださり、支援活動をしてくださってはいますが、なにせ、素人ばかりの為、法律にうとく、オーストラリアということもあって、なかなか良い方向には向かっていきませんでしたが、支援者の方々のおしみない手助けにより、私達の事件が大阪の弁護士会の山下先生に知られるところとなり、今やっと専門家の人達の手を借りることができるようになりました。
 ここまでくるのに7年という月日がかかりましたが、私の裁判はまだ終わったわけではありません。
 私達の事件はバッグを盗まれた様に仕組まれ、それによって麻薬入りのバッグにすり替えられ、運び屋にされたという事件で、事件それ自体はそんなにめずらしい事件ではない様に思いますが、事件が起きたのが日本ではなく、オーストラリアである為に言葉の障害があり、通訳などさまざまな問題が起こり、その為に警察にも誤解を招き、私達の証言が作り話の様に受け取られ、裁判が始まる前にもかかわらず、書類などがすべて英語で書かれている為に、書類に目を通すことすらできず、何も自分達を防御することもできずに、裁判が始まり、終わってみると有罪で20年という刑期をうたれていました。20年という刑期も無期にひとしいくらい長いものであり、もちろん自分自身は何も罪を犯していませんので、怒りで体が震え、一週間も食事がのどを通らぬほどでしたが、今もその時の気持ちを忘れる事ができません。
 今の若い人達は気軽に外国に遊びに出かけて行きますが、私達の様なことが、二度と他の人達に起こらぬ様、外国に出る時には本当に気を付けていただきたいと思っています。
 パンフレットの写真のことですがやはり家族や子供達の為に私の顔写真をのせるのは遠慮したいのですが、よろしくお願いします。
 いつも忙しい所、私達の為に手助けいただいて本当に有がとうございます。
 勝野良男


4 生の声   A子
 1992年6月17日にオーストラリアのメルボルン空港でヘロインの密輸入の疑いで捕まり、3日間ホテルに監禁され、朝の9:00すぎから夜の10:00すぎまで調書を取られ、その時にはまだこの調書が終われば自由の身になれると思い、警察官の尋問に対し一生懸命答えました。私は友人(男性刑務所に私と同じ15年の刑期を受けた)にオーストラリアの旅行に誘われて、唯ついて来ただけです。公判も4ヶ月に渡る長い裁判でした。それなのに私の事はほんの少しだけでした。オーストラリアに来た時にはほとんど英語も分からず、何が何だか分からずに夢かと思って早く目覚めたいと何度も頬をつねったり、たたいたりしましたけど、夢ではありませんでした。その時のショックは未だに頭の奥にあり、急に不安と恐怖が重なって息が出来なくなり、体中が震え、死ぬかと思うほど苦しく年中なり、今だにその発作が続いています。特に1998年からまたひどくなっています。かなりの安定剤やその他の薬が出されています。今年の6月で刑務所に入れられ、丸8年になります。以前何度も死のうかと思い遺書も書いた事もあります。私は本当に無実です。麻薬が入っているのを知っていたら・・・いいえ私にはそんな犯罪は犯せません。1993年にイエスキリストを信じ頑張ってきました。でもどうでもいい、と思うことがたまにあります。こんな不公平な裁判を受け、ただ法律上だけの上告しか出来ず、刑務所内で人間関係に悩んだり、心にナイフを刺されるほど傷つけられたり、死んだ方が楽になるように思えることもありました。私が密輸入をしたならしたとはっきり言えます。そんな事をしていないのにしたと嘘は言えません。刑事がすべて私達の調書は前もって話し合って仕組んだ事だ。マレーシアのサクラカフェで夕食など取ってないなどと作り話を公判の時に12人の陪審員に話し、私はとっても辛く、そしていら立ちました。こんな裁判では外国人は99%有罪になると怒りました。まともな通訳がつかなく、弁護士とも2年半にまともに話したのは一度だけです(二度目の弁護士)。私がヤング牧師に頼んで二回弁護士に会いましたけど、一度目は通訳が来ず、二度目は私が一緒に旅行に来た男性刑務所(拘置所MRC)に一応公判前のミーティングという事でいきました。その時にはもう私の精神が弱ってかなりきつい安定剤が出されていました。何を話したのか覚えていません。これを読まれた方々に私達は本当に無実だということを信じてもらいたいと心から願っています。あわれみでは無く真実を知ってもらいたいと思います。
 実際にマレーシアでスーツケースが車ごと盗まれ、麻薬の入ったスーツケースを次の日に受け取り、まったくそれを疑いもせずにオーストラリアに来た私が無知だったとつくづく思います。日本では麻薬の事件があまり無いのでそんな事まったく思いもしませんでした。でも調書をとられていて、刑事の尋問に答えているうちにマレーシアのツアーガイドが仕組んだ事だと気づきました。後2年8ヶ月(6月17日になりますと2年半)刑務所に入れられてなければなりません。確かに今思いますと月日が流れるのは早いし、刑務所内で色々な事を学んでます。でも日本での時間が止まったままで、心の奥で苦しさがいつも隠れています。
 私の写真と名前を出せないのは母が昔ながらの古い人間で、世間や親類の体裁を大事にする人ですし、子供の頃から今現在までずーっと苦労のしっぱなしな私の大事な母なので傷つけられません。どうかお許し下さい。
 私は本当に無実です。
Metropolitan Women’s Correctional Centre
A子


5 生の声   浅見 喜一郎

 (一)  私達は一般市民です。
 (二)  国際指名手配されている者が張本人です。
 (三)  私達はその者以上の有力な証拠は当事件においてはあり得ないと信じています。
 (四)  あの人が犯人です、と名指し出来る人物がこの事件に関して野放しにされている。
 (五)  こんな不可解な事が起き得るなどとは夢にも考えられません。
 (六)  どうか一日も早く国際指名手配されているキャリー(仮名・編者注)をマレーシアから連れてきて皆の前ではっきりさせて欲しい。
 (七)  私達は家族が待っているのです。
 (八)  本当の裁判をもう一度やって下さい。

 先日、中村様よりお便りいただき弁護士様たちのいろいろな御支援をしてくださっているとの事で私達も感謝しています。手紙の内容はとてもよいと思いますが、写真入りは・・・子供達が3月28日に卒業式で就職先を決めるように云っているやさき、写真入りで私が出て、就職先に知れると失業するかも知れませんので名前はいいのですが、写真は載せないで下さい。家族達も一日も早く帰って来てといつも手紙に書いてきます。そんな訳でヤング先生も私の家に電話してくださった時に、子供達は就職先がまだ決まらないと云っていました。子供は24才と22才です。よろしくお願い致します。
浅見 喜一郎